【日本のアニメ史】プロローグ 鉄腕アトムからスーパージェッター

将来このブログの中核をなすであろう、「ニッポンのアニメ史」の準備をしていたところ、大変なニュースが飛び込んできた。

(株)京都アニメーション第一スタジオ放火事件だ。

1人のアニメファンとして悲しい気持ちでいっぱいです。

犠牲になられた方に謹んで哀悼の意を表しますとともに、ご遺族の皆様にお悔やみを申し上げます。また被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。

プロローグ

鉄腕アトムのテレビ放送が開始されたのが、1963年1月1日。昭和38年である。

毎週1話30分という放送形態は現在にも引き継がれていて、この鉄腕アトムこそが、近代のテレビアニメの出発点であるというのが定説だ。

もちろん隼人さんもそう思う。

何を隠そう隼人さんもこの年に生まれた。

さすがにアトムを見たのは再放送であるけれど、ほとんどのアニメはリアルタイムで見てきたと自負している。

そんな隼人さんが、独断と偏見で、日本アニメ史を当時の様子などを交えながら振り返ってみたいと思っている。

尚、執筆の都合上尊敬する作家さん達の敬称は略させて頂きますのでご了承下さいませ。

手塚治虫の功罪

やはり、漫画家、アニメ原作者、アニメーターとこの業界で神様と呼ばれるのは手塚治虫しかいないでしょう。

ただ1人、先頭を歩いた孤高の存在だと思います。

しかし1963年生まれの隼人さんでは、子供の頃から一世代前の作家さんのイメージがありました。

隼人さんの世代では、石森章太郎→永井豪→松本零士って感じかな。

正直、鉄腕アトムは電気式紙芝居と揶揄されるほど、作りがチープだったのを子供心でも感じていた。

これは当時の手塚治虫(虫プロ)の戦略の一環(アトムは安く仕上げて利益を出す)なので仕方がないが、以後製作費を過分に安く設定して競合他社にプレッシャーをかけたりした。

今日でも、アニメ制作費は安いのが当然になり、業界の低賃金や長時間労働の元凶を作ったのは、ほかならぬ神様自身だったのだ。

すでに50年以上が経ち、歴史として語られている事実なのだけれど、手塚治虫に経営者としての才能があれば、そして業界の神様としての自覚があれば、今のアニメ業界も少しは違っていたのかもしれない。

1963年その他の作品

鉄腕アトムが常に高視聴率をマークし、他社も黙っているわけにもいかなかった。

アトムから10か月後、鉄人28号が放映される。原作は横山光輝。制作はTCJ動画センター(のちのエイケン、サザエさんで有名)全84話。

巨大ロボットアニメの元祖と言われる。デカくて単純なリモコンや旧日本軍の秘密兵器といった設定など、1950年代の原作の古さが否めなかった。

注目すべきは、横山光輝の原作がこのあとバンバン出てくるところかな。魔法使いサリー、仮面の忍者赤影、バビル2世と続いていく!

さて、鉄腕アトム、鉄人28号とフジテレビの放映が続いた。対するTBSは11月にエイトマンをスタートさせる。

エイトマンは始めから、対アトムを意識して作られたところが興味深い。

原作は当時駆け出しのSF小説家の平井和正。のちに小説でウルフガイシリーズや、幻魔大戦シリーズなど量産していく。

隼人さんも文庫本50冊位もっている。

漫画は少年マガジンで少し先行。絵は桑田次郎。当時の作品は、漫画とアニメがほぼ同時進行だったところは苦労がうかがい知れる。

 

ここまでの作品はほぼSFのジャンルだが、同時期に老舗の東映動画制作でNET(テレ朝)放映の狼少年ケンがスタートしている。全86話と以外に長い。

上記4作はいずれもメジャーで長寿である。

日本アニメ史における第一世代と言えるだろう。よって翌年(1964年)はめぼしい作品はスタートしていない。

しかしこの年は、東京オリンピックが開催され、合わせて東海道新幹線が開業している。

戦後は終わり、活気があふれていた。

1965年1月、スーパージェッター放送開始!

1963年の4作はアニメ史でこれでもか!と言うくらい語られている。

しかし隼人さんはむしろ1965年スタートに注目したい。正直書きたいのはここからなんだ。

でも、アニメ史を語る以上、上の4作を無視するわけにはいかないのでネ・・・。

エイトマンが1964年末に放送終了、その入れ替わりで放送開始されたのがスーパージェッターだ。

漫画家さんの原作は存在しないTBSのオリジナル作品。キャラクターデザインは久松文雄。

各回のシナリオはエイトマン=平井和正の成功から、当時若手のSF作家である筒井康隆・眉村卓・豊田有恒など、後のビックネームが名を連ねている。

隼人さんも当然大人になってから作品とシナリオライターの一致を知る訳だが、当時の飛びぬけたクオリティの高さを思い出せば、納得の一言である。

隼人さんもとっても好きな作品の一つだ。

ジェッターと流星号

ハイ!この投稿に合わせて液タブ、Cintiq13HDで描いてみました。

実際のアニメ制作はTCJ,配給は東映とちょっと変わったパターンだ。

放映は1965年1月7日スタート、毎週木曜日の18:00~18:30で全52話。

興味深いのは、1966年1月20日に放映終了後、翌週1月27日の同時間帯に再び第1話から放映し直している事。

当時の人気が伺いしれる。

ストーリーは30世紀のタイムパトロール隊員の主人公ジェッターが時間犯罪者ジャガーを追跡中、タイムマシン同士が接触し20世紀に不時着。

タイムマシン(流星号)は時間航行機能が故障し20世紀に留まることになる。

国際科学捜査局の西郷長官の要請のもと、しばらく20世紀で犯罪捜査協力を行う事になる。

第1話で偶然出会った女性カメラマン、水島かおるが常に同行する。

ちなみに水島かおるの声優さんは松島みのりである。

とにかく設定が新しかった。

腕時計型トランシーバーで流星号を呼ぶシーンは当時の子供達はみんな真似してあそんだ。

もちろん隼人さんも。

「流星号、応答せよ、流星号!」ってね。

この腕時計型トランシーバーには30秒だけ周囲の時間を停止させられる羨ましい機能も付いていた。

また空を飛べる反重力ベルトとかパラライザー銃とかとにかくSF的要素が満載だった。

流星号も良かったよね。

グニャグニャ曲がるのは子供心でも「変だな」と思ったけど、愛らしい流線形のデザインは今見てもカッコイイと思う。

主題歌も良かったよね!「未来の国からやってきた~(^^♪」今でも口ずさめちゃうよ!

現代風にリメイクしても面白い作品かもしれない。

 

さて次回はこのスーパージェッターに続く、1965年の作品を紹介したい。

宇宙少年ソラン・宇宙エース・遊星少年パピーの登場だ!

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